過去を巡る 〜30代前半③〜
子供が産まれた翌年、会社の人事異動で新しい部署に配属されました。そこでの仕事は忙しく毎日のように21時や22時まで働く必要がありました。
ただ仕事量が多いこと自体はあまり問題ではなく、どちらかというと仕事の難易度に悩んでいました。
どうやったら目標を達成できるのかアイディアを考えてスケジュール立て、話したことがない人の所に行ってヒアリングをしたり集めた情報を分析したり、それを基に大勢が参加する会議でファシリテートして議論を進めたり。
こういった仕事は自分の能力の限界を超えていたと思います。
上司を会議室に呼んでこの仕事は無理ですと直訴もしました。上司はその仕事はしなくていいと言ってくれたのですが、同僚は「あなたがやらないと一体誰がこの仕事をやるんですか?いくら上司がやらなくていいと言ってもあなたがやるしかないでしょ?」と言ってきたので頭がぐちゃぐちゃになりました。
その仕事以外にも日々のルーチンワークもありましたし、月に1度会社の偉い人を招いての会議があり、その会議案内から資料作成、プレゼン、会議後の議事録作成と配信まで何から何まで1人でこなさなければなりませんでした。
仕事は山積みだったのでいつもその日のうちに終えることはできず、パソコンを持ち帰っては家でも仕事をしていました。
家で仕事をすることは会社から禁止されていたので会社には内緒で仕事していましたし、それゆえに残業代も出ませんでした。
また家には赤ちゃんがいて集中することはできませんでした。
そしてある日ついにパンクすることになります。
その日は金曜で、月曜の会議に向けて準備を進めてたのですが、会議資料が出来てないどころか資料の内容すら決まっていないまま夜9時が過ぎ、回りはみんな帰宅してしまってフロアが真っ暗な中、自分の机の上だけ電気がついているような状況でした。
もうこれは土曜も日曜も徹夜して仕事したって月曜の会議には間に合わないな、どうしようかな、と思ったところで全身の力が抜けて動けなくなりました。
その日以降、うつ病のため会社を休職することになります。
過去を巡る 〜30代前半②〜
当時はデキ婚というものが嫌いでした。
子育ての環境が整っていないにも関わらず妊娠するなんて無責任だなぁというネガティブなイメージを持っていたからです。
逆に自分は持ち家があり経済的にも豊かで、年齢も若く、会社や周りのサポートも得られるという面で準備万端で赤ちゃんを迎えることができるし理想的な環境にあると考えました。誰よりも赤ちゃんを幸せにしてあげようと息巻いていました。
妻の産婦人科の定期健診にはほぼ全て同伴したし、母体の栄養に気を使ったりベビー用品を真剣に選んだり力を注ぎました。
ただそれだけ念入りに準備をして意識を高く持っていても子育ては想像以上に苛酷なものでした。
掃除機の音すら苦手な自分にとって赤ちゃんの泣き声は耐え難い苦痛でした。
何度も育児放棄したいと思ったし暴力的な気持ちにもなったし、そんな気持ちになる自分に嫌気がさして落ち込んだり、落ち込んでるうちにまた泣き出すし、まるで気が休まることはなく、一日でも早く赤ちゃんが成長して自立してほしいと願うようになりました。
妻がいて子供がいて、明るく温かい家庭を築くことこそが幸せだという価値観でいたのに、自分には結婚生活も、そもそも誰かと一緒に暮らすこと自体が向いていないと思うようになりました。
自分の価値観が壊れていくことはストレスでした。
過去を巡る 〜30代前半①〜
それから半年ほどして妻が妊娠しました。
母は大変喜んでいましたが、ふと冷静になるとこの人は何をそんなに喜んでいるんだろうと思いました。
母は子供が受験に成功して優秀な高校・大学に入学し、学業やスポーツに勤しみ、卒業後は大手企業に就職、良妻賢母を嫁にもらって子供を産んで、世間から羨望の目で見られることを理想としている人間です。
2010年に結婚して7年間子供がいなかった(というか作らなかった)ので、7年もの間親戚や友達からの目を気にしていたことでしょう。
ここでようやく母は孫を手に入れることができ世間体を保つことができたわけです。
せっかく子供ができたと言ってもなんだかこれでは母の理想の幸せコースを辿っているだけのような気がして少し気持ちが冷めてしまいました。
母はきっとこれから先は2人目が見たいと言うでしょうし、子供が育つとちゃんと勉強しろだの塾に通わせろだの言ってくるのだと思います。
子供ができて嬉しい反面、こうして今後も親からの監視を逃れることができないという予感がしました。
過去を巡る 〜20代後半⑤〜
離婚したいと言われてから妻は精神状態がおかしくなってしまいました。
見るからに落ち込んでふさぎ込み、集中力がなくなりボーッとする時間が増え家事も手につかなくなり、挙句の果てに仕事もクビになったそうです。
今まで悪かった、これからは行動を改める、もう二度と悲しませるようなことはしない、夫婦関係をやり直したい、夫婦で幸せになりたい、ということを口にするようになり、それを手紙にしてみたり、とにかく離婚をしたくないと伝えてきました。
この妻の強い意思があり、前回書いた通りEさんとお別れして妻と生きていく覚悟を決めました。
妻は子供が欲しいと言いました。
日本には子はかすがいということわざがあります。
大辞林によると、子に対する愛情によって夫婦の間が緊密になり夫婦の縁がつなぎとめられるということだそうです。
夫婦関係の修復に子供の命を道具として使うのは如何なものかとも思いますが、結婚して約4年、ここにきて初めて子供を作ることにしました。
正直もう妻のことを女性として見ることはできなくなっていたので子作りは辛いものでした。
過去を巡る 〜20代後半④〜
ちょうどその頃、会社で一緒に仕事をしている同い年の女性から人生相談を受けるようになりました。
その人はEさんという名前で既婚者、子育てをしながら派遣社員として働いてる方でした。
先に結果を書くとEさんとはひどい不倫関係に陥ってしまいました。
この不倫の期間は数ヶ月続き、不倫というからには当然お互いだけの問題ではなく、妻やEさんの配偶者、それぞれの親などを巻き込む騒動となり、多くの人に本当に大きな迷惑をかけてしまいました。
これは人生最大の後悔となる出来事となりました。
事のきっかけとしては仕事中にEさんと雑談してる時に、Eさんが精神的に苦しんで毎日泣いているという話を聞いたところから始まりました。
一体何があって毎日泣くはめになったのか?と色々突っ込んで聞いていくうちに仕事仲間以上の関係になってしまったのです。
精神的に苦しんでると聞いた以上は「どうにかしないといけない」と思い焦って手を差し伸べたわけですが、自分や相手も既婚者であるので、その置かれた立場や環境を考えると安易に首を突っ込むべきではなかったと反省しています。
Eさんはご主人からのモラハラを受けていて、そのストレスや疲れが原因で体調を崩していました。途中から心療内科にも通っていました。
前回までの記事の通り自分自身も家庭生活が上手くいっていなかったので、互いの身の上話をしてるうちに、それぞれの家庭で離婚をして自分達が再婚すれば収まりがいいのではないか?という運びになりました。第三者から見れば絵空事に見えるストーリーですが、当時は本気でそれを望んで行動していました。
ただ現実はやはりスムーズにいくはずはなく…。
Eさんには小さな子供が一人いて、何度かその子にも会ってみたのですが、残念ながらどうしても好きになれませんでした。これが例のモラハラ夫の子なのかと思うと可愛げを感じることができませんでしたし、なんなら泣いている姿を見てうるさいなぁとすら思ってしまいました。
もし再婚するならこの子がついてくるんだな、血の繋がりのない愛情を感じられないこの子と毎日一緒に過ごし、ご飯を作ったりお風呂に入れたり病気の際は看病し、反抗期になれば暴言を吐かれるんだろうなぁと思うと再婚に踏み切っていいものか考えものでした。
加えて妻は何ヶ月経っても離婚に応じてくれませんでした。
そのうちにEさんからは「いつになったらあなたは離婚するのか。うちの家はいつでも離婚できるというのに。いっそのこと離婚成立前から同棲を開始して無理やり自分達の家庭を作ってしまわないか?」という行き過ぎた提案をされるようになり、ただでさえおかしくなっていた自分の頭がEさんの強いプレッシャーで余計に狂っていくのを感じました。
一方で、妻に対しては慰謝料を払ってでも離婚しないと、このままでは自分の人生は不幸なままだとも思っていました。
やがて妻には「好きな人がいるから別れてほしい」とストレートに打ち開けました。
妻はまだ20代半ばでしたし、子供もいないし、これだけ見た目も美しいので必ず新しい男性は見つかると思いました。妻を幸せにする相手は自分ではないと思いました。
好きな人がいると言われた時の妻のショックは計り知れないだろうと思います。本当に申し訳ないことをしました。
ただ、それでも妻は離婚はしないと言い切りました。
余程強い意思だと思います…。
そこで自分はとうとう離婚することを諦めました。
Eさんには「うちは離婚することはできない、だからEさんとは一緒になれない、このまま付き合っても仕方ないのでお別れしたい」と言いました。
Eさんは怒ってまたプレッシャーをかけてきたり、あるいは泣き落とししてきたり、手を替え品を替えどうにか考えを改めさせようと奮闘しましたが、希望が叶わないと分かると「じゃあうちも離婚しない」とあっさり引き下がりました。
あれほどモラハラ夫が嫌だ、シングルマザーになってでも離婚すると豪語していたのに。
その後EさんからはLINEをブロックされ、勤めていた会社も退職してしまい、消息は分からなくなりました。
今でもモラハラに苦しめられているのか、あるいは2人目の子供を産んで幸せを取り戻したのか、はたまた別の人と不倫をしているのか…。
いずれにせよもう関わることはないと思いますし詮索するつもりもありません。
当時Eさんは自分のことをどれだけ愛していたのでしょうか。本当は愛してくれていたわけではなく、単に配偶者として条件の良い物件に乗り換えようとしていただけなのでしょうか。
Eさんの愛情とは何だったのだろう、あの数ヶ月の苦しみは何だったのだろう、と考えると胸が詰まるような気持ちがします。
冒頭でも書いたようにこの不倫騒動は多くの人を巻き込んで散々迷惑をかけた上に誰も幸せになることもなく終わりを迎えました。
親にも激怒され、夫婦関係を改善して再構築するように促されました。
過去を巡る 〜20代後半③〜
4ヶ月もブログを更新をしていませんでした。
更新しようと思いつつ、この20代後半は辛い思い出が多くて文字に起こすのを躊躇ってしまってました。
でも最後まで書き切りたいので頑張ります。
前回の投稿では妻との結婚生活が上手くいっていないことを書きました。
そんなある日、何がきっかけか覚えてないですが妻に激しく怒られ物を投げつけられました。口論の末というわけではなく、割と突発的な出来事だったと記憶しています。
物を投げつけられた瞬間、自分の心が壊れるのが分かりました。
その場で「もう我慢できない、離婚する」と宣言し、妻も妻で怒りに任せ「今日離婚届を出す。親にも今すぐに電話して離婚すると報告してほしい」と応答。その言葉に従い、親に対して本日妻と離婚させていただきますと話した後、離婚届を取りに車に乗り込みました。
しかしここまで来たところで妻が急に号泣し許してほしいと謝罪してきました。離婚はしたくない、これからは大人しくするのでやり直させてほしい、と。
続けて「どうしても離婚する気なら私は死ぬ!」と言い、バイクを自らの体に倒して下敷きになり自殺しようとしました。
自殺だなんてとんでもない、というかバイクの下敷きになった程度では人間は死なないし、そもそも大切なバイクを倒すなんて何をやってるんだ、離婚したくないなら最初から物を投げつけたり暴言吐かなけりゃいいじゃん、など一瞬にして色んな考えが頭を巡り、自分自身もパニックになってしまい結局その日は離婚できずにそのまま妻と共に帰宅しました。
その後妻は何度も謝罪を繰り返しその度にやり直させてほしいと懇願してきました。
ただ、自分としては心が壊れてしまった以上、妻とやり直す気には到底なれませんでした。
それから先は離婚する・しないの押し問答の地獄のような日々が続きました。
客観的に見ると始まりから終わりまで妻が一人暴れて騒いで泣き喚いてるわけで、なんともやかましいなぁ、最初から大人しくしとけばよかったのにと思うわけですが、きっと当時は妻も若くて気性も荒く自己主張が激しかった一方で、ずっと孤独と戦っていっぱいいっぱいだったのだろうと思います。
そして妻が100%悪かったのかと問われれば実はそうではなく、自分にも落ち度があったのかもしれない、もう少し労わってあげたり楽しませてあげたり愛情を注ぐべきだったのでは?と今は思っています。
自分自身も当時は若く、妻の気持ちを考えられない未熟な人間だったのだろうと反省しています。
過去を巡る 〜20代半ば②〜
結婚生活は上手くいきませんでした。
原因はやはり考え方の相違でしょうか。
自分は平日の日中は仕事をしていて、仕事が終われば趣味の時間が欲しいと考えていましたが、妻の方は23年間住んだ福岡を捨て、誰も知り合いのいない土地に引っ越しをしてきたので、せめて仕事が終わった後は夫婦の時間が欲しいと考えていました。
今思うと妻の主張を尊重すべきでした。
ただ、自分は一人きりの時間がないと困るタイプの人間で、苦しい仕事が終わってやっと一息つきたい時に妻のためにあれをしなきゃ・これをしなきゃと考えると何となく窮屈で不自由な思いがしました。
一人で楽しむ趣味がストレスの解消方法だったのです。
きっと結婚生活に向いていない人間なのでしょうね。
仕事が忙しくて家に帰るのが遅くなった日には「夜まで仕事お疲れ様」の一言ぐらいあって然るべきだと思っていましたが、妻からすると「こんな不慣れな土地に呼んでおいて一日中私を放置するとは許しがたい」という気持ちだったようです。
こんな調子だったのでお互いがお互いを理解できず、衝突を繰り返していました。
夫婦喧嘩はやがてエスカレートしていきました。
仕事から帰宅すると玄関ドアにチェーンをかけられて家に入れず車の中で寝ることを強いられた日もありました。
次第に物を投げられたり殴られたりとDVが起こるようになりました。
離婚したいと言われたことは数十回はあるでしょう。
ここまで関係がこじれるなんて余程自分の接し方に難があるんだろうな。いやいや、それにしてもここまでの仕打ちを受けるほどのことはしていないのでは?でもDV受けるぐらい妻に不快な思いをさせているのだからやっぱり自分が悪いのか?
と頭の中が毎日ぐるぐるしていました。
重い腰をあげて職場に行けばいつものメンバーがいつもの表情でいつものように仕事をし、無事平穏な時間が流れていました。
まるで世界の中で自分だけが不幸な日常を過ごしているように感じていました。
やがて何のために仕事をしているんだろう、何のために生きているんだろう、という方向に思考が傾いていきました。
ある日、自分を取り巻くこの環境が、世界が、とてもつまらなく空虚で無味乾燥なものに思えました。
その時妻が家にいなかったのでちょうどいいと思い、包丁を持って浴室に行き腕に刃を当てました。
でも死ぬことはできませんでした。
生きることは怖いことですが死ぬこともまた恐怖。
腕のズキズキとした痛みが、まだ自分の中に生きたいという本能があることを主張していました。