桃源郷

境界性パーソナリティ障害 愛着障害 うつ病 精神疾患と向き合うブログです。

理想化とこき下ろし

以前の記事

 


https://itsuki83.hatenablog.com/entry/2020/03/01/152443

 


で書いたことの続きです。

 


 境界性パーソナリティ障害の症状のひとつである「理想化とこき下ろし」についてです。
前回このように書きました。

 

 ②相手への「理想化」と「こき下ろし」の両極端な対人関係
→出会った人に対して、初めは過剰な理想化を行い「最高の人に出会えた」「一生の友人ができた」と舞い上がる。
しかし相手の欠点が見つかったり、相手がつれない態度をとると「あいつは最低だ」「今までの時間を返せ」などと激高したり深刻に落ち込んだりする。


自分は小さい頃から何か満たされない、漠然とした不安、原因不明の寂寞感を抱えてきました。
この感情を持って過ごすことは生きる上であまりに当たり前のことでした。日が沈めば空が暗くなるのと同じくらい当然のことだったので、特に疑問に思うことはありませんでした。

しかし、ある程度成長し、いわゆる思春期にあたる年齢になると、自分と他人を比較するようになりました。医学的に言えばアイデンティティを確立していくためのプロセスだと思いますが、そこでようやく自分の抱える闇を意識するようになりました。
「こんな気持ちでいることはおかしいよなぁ。周りの皆はこんな不安を抱えているはずないよなぁ」
というようなことを考えるようになりました。

高校生に上がると、自分のことは自分でコントロールできる!という自信が生まれてきましたが、その一方で友人や恋人とのコミュニケーションの中で、自分自身が何者なのか分からなくなり、逆に自信を失ったりしました。

そうこうするうちに、自身の力で自分をコントロールしたい、自分を変えていきたいという思考から「いつかこんな自分を認め、救ってくれる良き理解者が現れるはず」という思考へと変わっていきました。自主自立から他力本願へのシフトです。

古代ユダヤ人はモーセ以来メシアが救世主としてこの世に現れることを待望していたそうです。
例えが間違っているかもしれませんが、いつか自分にも救世主が現れると信じるようになり、アンテナを高く張り、関わる人全てに対して「この人は救世主か否か」を伺うような面持ちで接するようになりました。

とりわけ親身になってくれる人、じっくり話をしてくれる人、優しくしてくれる人などに対して「この人こそ救世主なのでは?」と思うようになりました。
そういう人に対しては心を開いて、なるべく自分のことを知ってもらうべくオープンに何でも話すようにしました。
しかし、相手のリアクションが自分の期待と反したり、態度が気に食わなく感じると、途端に不満がたまり裏切られたような気持ちになりました。
信じてたのにどうして!と腹が立ったり悲しくなったり感情がネガティブな方向へ急降下しました。


35歳になって岡田尊司先生の境界性パーソナリティ障害に関する著者を読み、この感情の動きが「理想化とこき下ろし」であることを学びました。

理想化とこき下ろしは何十回繰り返したか分かりません。
その対象は同年代、歳の離れたおじさん、若い女性など老若男女問いません。

今これを書きながら、自分と同じ経験をしてきた人であれば気持ちが通じ合えるのかな、と思ったりしましたが、この思考パターンがまた境界性パーソナリティ障害のそれかもしれませんね。