桃源郷

境界性パーソナリティ障害 愛着障害 うつ病 精神疾患と向き合うブログです。

過去を巡る 〜4歳まで〜

自分は昭和の終盤に福岡で生まれました。他の家族は父・母・兄です。
改めて計算してみると自分が生まれた時、父が32歳、母が29歳だったようです。兄とは2つ違いです。
年齢的な構成は一般家庭のそれと何ら変わらないです。

 

バブル期が1986〜1991年だったので幼少期はバブル時代を過ごしたことになります。
マクドナルドのハンバーガーが210円だったことが記憶の片隅に残ってます。

(バブルはとんでもない時代だったとメディアが騒ぎ立ててる印象がありますが、調べるとわずか4年3ヶ月の間の出来事だったようですね、余談ですが)

 

父がどんな人かというと、真面目、几帳面、頑固、四角四面、寡黙。細かいことにとても神経質でした。
星一徹のような人かもしれません。ただ星一徹と決定的に違うのは、理不尽な暴力がないことと、その代わり子供への関心や愛情もあまりありませんでした。
趣味は読書で、家の中が本だらけになっています。
職業は普通の会社員です。稼ぎは良かったようで一般家庭の2〜3倍程の収入があったため、多少余裕のある家庭を作ってくれました。(不動産や信託などの投資にことごとく失敗したため生活水準的には特別裕福とは言えなかった)

 

24時間働けますかがキーワードだった時代。父がどれだけの時間を労働に費やし、何時に帰宅していたのか。ワークライフバランスがどうなっていたのかは分かりませんが、仕事は男がやるもの、家事は女がやるもの、という昭和の考え方に基づいて生きており、家事育児にはほとんど関わっていませんでした。

 

自分の理想の父親像は、明るくて楽しくてアクティブでたくさん遊びに誘ってくれるような人であり、現実はそれとは真逆の性格をしてましたので、父のことは物心ついた時から大嫌いでした。

つまり、暗くてつまらなくて消極的で遊びに誘ってくれない人でした。

 

今日は何して遊んだの?

何を食べたの?

どんな本読んだ?

テレビは見た?

 

こういったごく普通の問いかけ、コミュニケーションは一切なかったと思います。

そういえばいつだったかお酒に酔ってる時に話してましたが、父も自分や兄のことを特に好きではないようです。兄は自分と反対の性格だから、弟は自分に似た性格だから、というのが理由でした。

 

母は子供に愛情をかけてくれていました。
家事育児をそつなくこなす人だったので、部屋はいつも清潔で、食事も毎日おかずを何品も用意してくれて、時々お菓子作りもしていました。
本を読んでくれたり歌を教えてくれたりして可愛がってくれました。特にノンタンを繰り返して読んでくれたり、童謡のぞうさんを一緒に歌ったりしたことは今でも温かい思い出として残っています。こういう思い出は死ぬまで、一生忘れない財産として残ります。幼い頃の親からの愛情がいかに大切か、身に染みる例です。ノスタルジックな気分になって涙が出そうです。

 

兄はやんちゃでアウトドアでよく喋る子でした。自分はそんな兄を慕っていつも後ろをついて回っていたそうです。

 

今こうして振り返ると幼稚園に入るまではひょっとしたらとても幸せに生きていたのかもしれません。