過去を巡る 〜幼稚園〜
幼稚園に入るまで、同じマンションに同い年の女の子のCちゃんが住んでいてよく遊んでいました。
Cちゃんの家に行って笑いながら遊んでいたのを覚えています。大人になって思い返してみると、この幼なじみを大切にしてずっと仲良くできていればいつか恋愛漫画のようなお楽しみな展開があったのかもしれない、と時々妄想することがあります。
しかし、Cちゃんとはそのうち遊べなくなってしまいました。理由は東京都に引越しをしたからです。
親の転勤の都合に巻き込まれ、狭い領域ではありましたが築いた人間関係を断ち切られ、生まれ育った福岡の地を後にして東京都の幼稚園に通い始めることになりました。
平日は母、土曜日は父が幼稚園まで歩いて連れて行ってくれました。
父との登園はとても嫌いで、毎週激しく拒否しました。なぜなら父は幼稚園に着くまでの間、一言も口をきかなかったからです。子供との話題が何もなかったのか、興味関心がなかったのか…。父がコミュ障すぎて子供とお喋りすることができなかったのか。
気まずく重い空気感は耐え難く、とにかく早く幼稚園に着いてほしかったです。
幼稚園では拒食が発症してしまいました。いつも昼のお弁当を食べることができませんでした。
周りの子がワイワイ楽しそうに食べる中、自分は不安と緊張の中、時間が過ぎるのを一人静かに待っていました。
先生には少しでもいいから食べなさいと言われ、そのプレッシャーで毎日押し潰されそうでした。
昼ご飯の時間は毎日恐怖でした。
家に帰ると、母に手付かずのお弁当を見られ強い叱責を受けました。
母の立場からしたら、せっかく早起きして作ったお弁当が毎日そのまま持ち帰られてくるので悲しかったのでしょう。そのやるせない気持ちはそのまま子供に対してぶつけられました。
通っていた幼稚園では毎週金曜日に水泳の時間がありました。
園児・先生みんなで近くにあるスイミングスクールに行き、屋内プールで水泳の練習をしていました。
わずか4〜5歳の世界の中でも泳ぎが上手な子、下手な子、平均的な子と様々でした。
泳ぎのレベルに応じて、水泳キャップにマジックで印がつけられる仕組みとなっており、「バタ足ができたら黒い丸」「5m泳げたら赤い丸」のように何かしらの基準を基に先生がキャップに印を加えていき、ランク分けをしていました。
ここで自分は青い丸をもらった後に数ヶ月泳ぎが上達せず、停滞してしまいました。次の緑の丸が全然もらえなかったのです。
水泳の後、家に帰ると母から結果について聞かれ「今日も緑の丸が貰えなかった」と報告すると強い叱責を受けました。
周りの子は泳げるのになぜあなたは上手くならないのか!何がダメなのか!
水泳のある金曜日はこうして説教されることが分かっていたので毎週金曜日が来るのが本当に怖かったです。
「なぜ緑の丸がもらえないのか先生に聞いてきなさい!」と強要されたこともあり、どんどん萎縮していきました。
自分の思っていることや喜怒哀楽を表に出すことができず、殻に閉じこもるような性格に育ってしまったのは、この水泳に纏わる一連が原因ではないかと考えています。
本来幼稚園というのは遊びを通して周りの子と仲良く過ごすための社会性を身につける場なのだと思いますが、自分にとっての幼稚園時代は、土曜の父との登園と、昼ご飯の拒食と、金曜の水泳の苦しみに耐えていた記憶だけが残っています。