桃源郷

境界性パーソナリティ障害 愛着障害 うつ病 精神疾患と向き合うブログです。

過去を巡る 〜小学二年生②〜

小学生の頃、陸上競技がよくできました。
短距離走長距離走、高飛び、幅飛びあたりはクラスで1番あるいは学年で1番の数字が出ることが多かったです。

 

特に小学1年生の時に50m走が8.7秒でしたので、日本記録とまではいかなくともそれなりの大会で優勝できる程度のレベルだったと思います。

ただ、地味で目立たない存在でしたので、周りで足が速いことを知っている人はほとんどいませんでした。
親でさえ、運動能力について評価してくれていませんでしたし、そもそも把握もしていなかったようです。運動関連だと常に兄を褒めていました。


クラスには明るくて活発な子がいて、そういう「陽キャ」の子はいつも脚光を浴び、クラスの中でも1番足が速いと思われていました。
対し、自分のような「陰キャ」に目を向ける人はいませんでした。


2年生の時に象徴的な出来事がありました。
うちの小学校ではイベントとして持久走大会というものが年に1回開催されています。
学年によって走る距離が変わり、例えば高学年は学校の外に出て街を走りますし、2年生はグラウンドを6周するというものでした。

 

当然みんな同時にスタートしますが、すぐに速い子と遅い子に差が生まれ、やがて周回遅れになる子も出てきて、全員が同じグラウンドをぐるぐる回っているわけですから、パッと見では誰が先頭で誰が最下位なのか分からない状態となりました。
つまり、ちゃんと6周したかどうかは見分けがつかないため、自己申告に委ねられていたと思います。

自分は3位でゴールしました。3クラスいる中での3位なので今思うとまずまずの結果かなぁと思います。

 

しかし、ゴール後に先生から「あなたはもう1周でしょう?」と言われました。

先生からしたら運動ができるわけのない陰キャの子が3位だなんて思わなかったのでしょう。


先生にそう言われたら仕方がないので、頭真っ白になりながらもう1周走りましたが、その時には既に他の子も多くゴールしていましたので、最終的に自分は学年で真ん中ぐらいの成績となってしまいました。

 

持久走大会の後、落ち込んでグラウンドに座っていると兄がやってきて「どうだった?」と結果を訊ねてきました。
兄に対し自分のこの状況をどう説明しようか考えていた時、すかさず横にいたクラスの乱暴者が代わりに答えました。

「こいつは全然遅かったよ!」と。

 

この時の悔しさは今でも忘れません。

 

このように、当時の自分は家においても学校においても褒められることがなく、能力を知られることもなく、承認欲求が満たされることはありませんでした。

 

自分を認めてもらえないことによる不全感、不信感、不満というものは後の人生に大きな影響を与えることとなります。