桃源郷

境界性パーソナリティ障害 愛着障害 うつ病 精神疾患と向き合うブログです。

コーヒーブレイク 〜小学六年生③〜

今回はコーヒーブレイクとして、すみませんが病気とは関係のない話を書きます。

 

6年生も3月になり、いよいよ小学校を卒業しました。

 

両思いだったIさんとは手紙のやり取りの中で付き合いたいと言われていて、それに対して分かったと返事していたので、ひょっとしたらIさんは彼女と呼べる存在だったのかもしれません。
ひょっとしたら、と書いたのはお互い子供だったのでデートもしたことなければ手も繋いだこともない、気持ちだけ通じてたような仲だったからです。

 

Iさんは誕生日が3月でした。卒業式後、中学入学まで時間はたっぷりありましたし、Iさんに何かプレゼントをしてあげたいと考えました。
プレゼントはどこに行って買えばいいのか、何を買っていいのか分からなくて必死になって考えて、周りに相談もしました。
その後1人でバスに乗り街に出かけて歩き回って、雑貨屋さんで小さなピンク色の財布を買いました。女の子向けの商品を持ってレジに向かうのは恥ずかしくて、笑われたらどうしようと思いながらの買い物でした。


Iさんは地元の公立中学に、自分は合格した私立中学に行くことになっていたため、別々の道を歩むことになりました。

 

自分の行く中学校は久留米市というところにあり、自分の住んでいる福岡市からは西鉄大牟田線という私鉄で通学する必要がありました。
そのため、通学を楽にする目的で西鉄大牟田線の駅近くのマンションに家族で引っ越すことになりました。

 

元々Iさんの家とは徒歩20秒の距離だったのですが、この引っ越しにより車で20分の距離となりました。
12歳にとって車で20分というのは遠距離恋愛に相当するものです。

 

こうした背景があり、Iさんにピンク色の財布をプレゼントすることはできたものの、それを最後にもう会うことはありませんでした。

 

当時はパソコンやインターネット、携帯電話といった通信機能が一般家庭に十分に普及していない時代でした。
仮に普及したとしても今の子供のように自由に使いこなすことはできなかったでしょうし、また大人でもパソコンを連絡手段として利用するという発想がそもそもない時代でした。(YahooやGoogleなんてものもありませんでしたし、パソコンはワープロの代わりのような存在でした)

 

話を戻すと、もしIさんと連絡を取りたければ電話か手紙をするしかなかったということです。
ただ電話も手紙も、親の目に触れる可能性があり、ハードルは高いものでした。

でもそのハードルを超えないとIさんとの交流は途絶えるわけで…。


そうこう悩んでるうちに月日は流れ、結局Iさんに対して連絡をすることができませんでした。
Iさんとの恋愛はこうして自然消滅という形で終わりました。

 

もしあの時勇気を出して連絡を続けていたら、恋人としての付き合いは維持・発展できていたのかもしれないし、そうするとまた違った未来があったはずです。
Iさんも連絡を待っていたかもしれません。きっと待っていたと思います。


後日談ですがIさんとは高校2年生の時に共通の友達を通して再会を果たしました。
その時はメールをしたり、何度か会ったり…年齢が上がった分、自分の意思の通りに行動できる自由を手にしていました。

 

そして一緒に通っていた小学校に夜に忍び込んでブランコをこぎました。
「ピンク色の財布のこと覚えてる?」
「もちろん。覚えてるよ」
「使ったの?」
「大切すぎて使えなかった。今でも大事に取ってある…」

 

Iさんとの間の話はこれで終わりです。


それ以降、彼女にどんなことがあったのか、進学したのか就職したのか、現在どこに住み何をしてるのか、結婚したのか、元気で過ごしているのか。全然分かりません。


知る手段はありますが、何か自分の思い出が壊れてしまうような気がして、あえて踏み込むことはしていません。

 

Iさんがこのブログを読むことはないと思いますが、素敵な時間と思い出をありがとうございました。