桃源郷

境界性パーソナリティ障害 愛着障害 うつ病 精神疾患と向き合うブログです。

過去を巡る 〜中学二年生〜

中学2年生になり一人の人間として自分を確立する時期に差し掛かりました。

 

自分とは何か?
周りの人と何が違うのか?
自分の個性・キャラクターとは?
自分らしさとは?
アイデンティティとは何か?

 

といったことを考えるようになりました。
これを読んでいる方も中高生の頃にこのような思考をした経験があると思います。

 

自分の場合は、その置かれている環境からさらに以下のような疑問ともよく対峙しました。

毎日必死に勉強しているが、勉強することにどのような意味があるのか?
三角関数複素数を知っていて人生で得することはあるのか?
このまま勉強を続け東京大学に入学・卒業し、東証一部上場企業や官僚へ就職し、高収入を得ることが本当に自分の幸せと言えるのか?
それは親の敷いたレールを走るだけの人生になっていないだろうか?
ではもしそのレールから抜け出した場合、どの方向を目指し走ればいいのか?

 

そんな自問自答を悶々と繰り返している折、小学校時代の友達から電話がかかってきました。彼はこんなことを言っていました。
実はしばらく病気で入院していたが、入院中、同じ病気の女の子と仲良くなり付き合うことになった。初めての彼女ができてとても楽しい。お前も早く彼女作った方がいいよ、とのことでした。

 

この話は少しショックでした。

 

なぜなら自分の生活を振り返ると、ただ毎日登校して授業を受け、部活をこなし、家に帰って宿題をする、日曜日はテレビゲームをする…そんな変わり映えのしない日常をループしていました。

 

ですが、知らない間に一歩外の世界ではキラキラと眩しい景色が存在していて、公立中学の友人達は青春を謳歌しているのだと気付かされハッとしました。

 

自分は暗く閉鎖された勉強漬けの世界の中にいつまでもいて、いつの間にか視野が狭くなっていました。


友人からの電話に焦りを感じ、外の世界について学ぶ必要性を感じました。

 

自分が信じて進んできた道、すなわち知識を蓄え知的に生きることが美徳であるという生き方は果たして正しかったのでしょうか?

 

耳をすませばという映画を見る度に思いますが、進路を真剣に考えて自分の限界に挑戦するというイベントが自分の人生には欠けていたと思います。

皆さんは自分の原石が何か知っていますか?

原石を磨いて生きてきましたか?

 

すみません、今回もあまり病気に関係の無い話となりました。