桃源郷

境界性パーソナリティ障害 愛着障害 うつ病 精神疾患と向き合うブログです。

過去を巡る 〜高校三年生〜

高校3年生になるとだんだん考え方が変化してきました。

 

親の敷いたレールを走る人生でいいのか?と疑問を持ちはじめてから不良となり荒れた生活を送っていましたが、実際のところそのレールを否定してしまうと今までの人生を否定したことと同義だと気がつきました。

 

他の同世代の友人達のようにスポーツに打ち込むでもなくアルバイトをして社会経験を積むでもなく恋人を作るでもなく、それらを犠牲にして勉強をしてきました。

では、蓄積してきた知識を捨てて夢に向かって邁進するような何かが自分にはあるのか?
他の人より秀でた才能があるのか?
仮に人生をリスタートするならばまず何なら手をつければいいのか?
親のサポートは受けられるのか?
親の考え方はステレオタイプで嫌いではあるけれど、今まで育ててくれた恩はどうなるのか?

目的もなくモヤモヤしたまま時間だけが過ぎるのであれば、せめて大学に入るまでは全力でこのレールを走りきった方がいいんじゃないのか?
それが今の自分がやるべきことじゃないのか?

 

こんな思考の末、初めて自分から勉強をやってみようという意欲が湧きました。

 

先ほど蓄積してきた知識、などとかっこいいことを書きましたが、高校1年生と2年生の間はほぼ勉強をしてこなかったのでこの2年間のブランクは受験勉強するにあたって大きなハンデとなりました。

 

結果を言うと自分は東京大学に合格することができませんでした。

あらゆる犠牲を払って勉強してきたにも関わらず、その勉強ですらトップになれませんでした。

つまり、結局のところ自分は何者にもなれませんでした。

 

親の期待に応えることができず、自身の期待にも応えられず、自信喪失状態となりました。

自分には価値がない。

今でもそう思います。

 

理屈で考えると自分に価値はあるはずです。例えば労働をして対価を得ている以上何かしらの価値を提供できているであろうとか、人に優しくして喜んでもらえてるということは価値のある行動だったのだろうとか。

 

ただ、”感覚的なものとして”自分に価値を感じない。そういうことです。