桃源郷

境界性パーソナリティ障害 愛着障害 うつ病 精神疾患と向き合うブログです。

過去を巡る 〜20代前半〜

大学を卒業し社会人になってからは誰一人知り合いのいない静岡県に引っ越し、会社の寮で新生活を始めました。

 

学生の時はアルバイトとして、郵便配達・引っ越し・飲食店・ビラ配り・工場作業・試験監督・市場価格調査・レンタルビデオ屋など様々な種類の仕事を経験しましたが、残念ながら仕事に夢中になれることはなく、自分の新たな才能を発掘できるわけでもなく、はたまた運命的な出会いがあったわけでもなく、仕事というのはお金稼ぎ以外の何物にも化けませんでした。

 

それが就職ともなると週に5日、最低8時間の労働が40年続くわけで、ああ就職なんて人生の長いトンネルだなぁとか、そのトンネルを抜けると老人になって遊び回る気力や体力は残されていないなぁとか、そうすると就職した時点で人生は詰んでしまうのだなぁとかそんなことを考えていました。

 

実際働き出してみると予想していた以上に大きな壁が立っていました。
就職した会社は従業員数1万人超の東証一部上場企業であり、会社の仕組みや社会人としてのマナーや仕事の進め方、周りとの関係性構築、英語書類の読解など分からないことだらけで、その割に新入社員という肩書きだけで大きな期待の目で見られ、毎日不安と緊張とプレッシャーの連続でした。


仕事がなくてひたすら眠気に耐えて座っていただけの日もあれば、日付けが変わるほど忙しい日もあり、気持ちが落ち着くことはありませんでした。
朝起きれば今日も仕事かぁと気分が落ち込み、仕事が終われば明日も仕事かぁと憂いていました。

 

そんな自分にとっての救いは寮に帰ってのインターネットとゲームでした。休日はバイクや車に興じることもありました。

 

入社1年目こそ会社の同期と遊ぶことも多かったですが、次第に同期の誘いを断るようになり、最終的には自室に閉じこもってタバコを吸いながらゲームをする廃人と化していました。

パソコンのオンラインゲームにハマって少なく見積っても月に100時間は武器を背負って冒険に出かけていました。

 

こうして人との交流を避けるようになったのは先天的な性格なのかもしれませんが、これまでブログで綴ってきたような親の愛情不足に起因する他者への不信が原因ではないかとも考えてしまいます。


20代前半、こうしてすっかり人に心を開くことができない人間になってしまいました。